スタート前に集合する選手達
 
いよいよスタート間近
「横浜縦断シーカヤックマラソン」
2001年10月14日
 

 10月14日(日)、一年ぶりの横浜は、好天に恵まれたカヌー日和だった。ただし、水の透明度と時々、鼻をつく異臭を除けばである(横浜の方ゴメンナサイ、だいぶきれいにはなってきていると思います)。

 スタート地点には、色とりどりのカヌーが集まってきた。僕も今回は、舟(カナイ設計の木艇ノースベイ)もパドル(ちょっと長めだが、ブラチャV)も最高のラインナップできたので、いい位置を探し、スタート地点についた。
 スタートは、定刻の10時半。先頭集団は、レーシングや、サーフカヤック、それに6m前後のシーカヤックの模様。
 僕は、慎重に波をかわしながら、スタートを切った。
まわりの状況は、よくわからない。橋をいくつか抜けると、まわりは、イヌックが左手に2艇とすぐ前が、木艇に乗った石原さん。しばらくこの状態。まわりが遅く感じられたので、思い切って前に出る。

 前を見ると、かなり遠くに黄色のサーフスキーが見えるだけ。運河の航路の蛇行に合わせて長めのストローク漕ぐ。
 7キロコースとの分岐点を左に曲がると、トンネルのような地点に出る。水路は、暗く狭い。が、どうも舟が左に曲がり過ぎる。ラダーの右側のひもがゆるんだらしい。しかたないので、右のペダルを一番踏み込んで、パドルの左側を心持ち長めにして漕ぐ。やっと、トンネルを抜けて右手に進路をとる。どうも調子が悪いので、舟をどこかで止めて、ひもを締め直そうかと考えていると、土手の上から応援の声。
 なんで、応援されるのだろうと不思議に思っていると、横をすごい勢いでレーシング艇を漕ぐ本田大三郎先生。圧倒される。でも、なんか吹っ切れて、いいアイデアが浮かんだ。ラダーなしで行こう!!

 しばらく舟は、右へ左へと蛇行したものの、だんだん慣れてきて、ほぼまっすぐ進むようになった。だいぶ離れた本田先生との差も広がらなくなってきた。追跡開始。
 回航点が近づいてきたらしく、速い舟が見えてきた。やはり、若者の乗るレーシング艇。3番目は、なんとシーカヤック、ホーネットW。でも、回航点までは、思った程、距離はなさそう。そこで、また、ナイスアイデア。回航点の手前で、左には効くラダーを入れよう!!。機をみはからって、さっそく実行。しかし、これは、大失敗。手前でいきなり左に曲がり、戻ってくる舟にぶつかりそうになるわ、バランスを崩すわ、審判員(?)にどなられるわ、やっと、たてなおしてゆっくりと折り返し、再びラダーを抜く。せっかくつめた前との差も再び開いている。

 もう、失うものはない(ちょっとオーバー)。前だけを見て、とにかく自分の漕ぎをしよう(力み過ぎ)。ピッチが遅くても、うしろまで漕いでもいいから、前を見よう(カッコイイ、ヒュー)。再び、差がゆっくりと縮まって来た。
 いける。まず、立って漕いでるレーシングカヤックを捉える。次にいよいよ本田先生。役員が乗ってるらしいエンジンつきボートが間にいてじゃまだが、距離はつまってきている。ボートが前に行って漕ぎやすくなったので、少しピッチをあげ、徐々に差をつめ、ついに抜く。再び、トンネル地点。

 狭く臭いが、しかたない。やっと抜けて、スターンラダーを入れ慎重に鋭角の航路を右に曲がる。明るくなった。あと少しのはずだ。橋をいくつもくぐったと思うがゴール地点は、見えてこない。遠い。前方に7キロ組らしいカヤックが何艇か見えてくる。目標にして差をつめる。やっと、ランドマークタワーが見えてきた。あと少しだ。すると、右手を見ると、3度目の本田先生。ゴール地点の方向を探してキョロキョロしてるところをちょっとかわされる。最後の右へ曲がるコーナー。左へ大きくふくらんだが、慎重に曲がる。最後、直線勝負と思ったが、いくら腕をまわしても差はつまらない。そのままゴール。

 本田先生には、結局負けたが、けっこう気持ちのいい虚脱感。ゆっくりと多めにダウンをし、舟を引き上げてもらう。上で待っていると、木艇に乗った石原さんが来る。声をかけると、「後半抜かれなければ、3位だよ」、と返事が返ってくる。へーえ、という感じで結果を待つ。

 シーカヤック部門3位、40歳以上マスターズ部門優勝というご褒美もついた。初めての表彰台は格別だった。一年間の成果だし、みなさんのお陰だと思う。また、がんばろう。   

 朝番 佐藤ま

 
 
Last update 04/01/26
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